update:2020.02.12 BLOG
自然の在り方
私たち人間はいつも何かを身につけようと日々奮闘して生きている。
毎日外の木々を見ていて思うことは、人間は常に何かになろうと一生懸命だ。
だけど、自然は何かになろうとはしていない。木は木のままでそこに立っている。
花も草も石も。自然はただありのままの姿でそこに存在していて、命を全うしている。
枝を折られようが、足で踏まれようがそこにただ在る。
何をされても、何が起ころうとも何も不平、不満は言わない。
環境によって自然物はいつその命が終わるかわからない。
だからこそ、今この一瞬を、一番美しい形で一生懸命生きている。
木から落ちてきた葉っぱを拾いあげてみれば、今の今まで精一杯生きていた姿をこの目にうつす。
ただ、自分を精一杯生ききる。人間にもそんな生き方ができるのだろうか。自然と人間の差は何か。
その答えはきっと、自分のことを良く把握していて、自分は何者であるのか、なにをすべきなのかを知っているから。
だから、そのありのままの姿で毎日生きられるのだろう。
人間は自分が何者であり、何をすべきなのかを何も知らない。
何か物事が起これば、人のせいにしたり、不平不満を言って怒ったり、問題を外に見る。原因が自分にあるとは思わない。
自分の外にあるものを見て、自分自身を何も見ようとも知ろうともしない。
だから、本当の意味で自分自身を全うして生きることなんて出来ない。
何もかも受け入れ、ありのままで、今あるこの現実を見て、全てをそれで良いと許し、それを与えられたままに成す。
こうした自然の在り方のように人間が生きられるのはいつになるのだろう。
そんなことを自然の中で感じている今日このごろ。